2009/11/17

Morro Bay


もうすぐ日本に帰ります。思い出作りにと、旅をしてきました。

San Luis ObispoまでAmtrakで行き、
そこから友達のクルマで、Pismo Beachに行ったり、Morro Bayへ行ったりしました。
いやーやはり夕暮れ時は、写真の撮り甲斐がありますね。

ブログのトップ画像もこれに変更しました。

2009/11/03

「ホモ・エコノミクス」

 神野 直彦 著『人間回復の経済学』を読んで


さらに安価な労働力をもとめて、さらに優遇された税制をもとめて、工場は海外にフライトしていく。

現在の新自由主義的経済において、人間は自己の幸福を築くために経済に従事するのではなく、さらなる生産性と効率化を追求した生産を維持するがために、人間は経済に従事させられていると言わざるを得ない。人間が先か、経済が先か。オートメーション化された工場のなかで、早朝にベルトコンベアが動き出す。人は機械のリズムに合わせ働き始めるのだ。

古典派経済学から、現代の市場原理主義経済に続く、経済学の本流は、基本的には変化していない。新自由主義的経済ないし、自己利益のみを追求した利己主義的経済は、結局のところ行き詰まりをみせている。

目先の利益と労働生産性に踊らされ、工場を海外の安価な労動力のもとにフライトさせた。工場があった街の経済は衰退をたどる。商店街の活気はなくなり、地域経済は枯れ始める。

かつて、アダム・スミスは『道徳情操論』や『国富論』において、こう説いている。経済は市場の「見えざる手」によって統合と合理化が進められ、社会の繁栄と調和を達成すると。新自由主義的経済、ないし利己主義的経済、また市場原理主義的経済と名を変え品を変え、半ば優等生のように経済学の流行を享受してきた日本は、豊かになったのだろうか。

安価な労働力を求め工場は中国やベトナムに移る。地域経済など知らん顔でいられるだろうか。その中国の安価な労働力で作った商品を、疲弊した地域社会の住民は買えるだろうか。

人間回復の経済学 (岩波新書)
神野 直彦 著『人間回復の経済学』

2009/11/02

イデオロギーの流行


ターゲットで見つけたこの絵が欲しい。


アメリカともあと3週間のお付き合い。
そんな俺は、毎日だらだらしてる。

近所のスーパーに買い物したり、
一日中ネットしたり、
ちょっと遠出して、
友達と晩飯食べにいったり、
それらのタイムスポットには、
必ずといって良いほど、
スターバックコーヒーがいる。

経済学入門のレポート書いていて、
「新自由主義」と「自由放任主義」のちがいが、
いまいちつかめない。
ブリタニカの百科事典で調べながら、
「鉄の女」と揶揄される、
イギリスのサッチャー元首相の経済政策は、
ただ単に租税負担構造を、
金持ちから貧乏人にシフトしただけだったと知った。

鉄の女首相も、
最後は人頭税を導入しようとして、
国民の反発をかい、
長期政権は終わりを告げる。

ケインズ的福祉国家も、
新自由主義を謳歌する国家も、
結局は長続きしない。
もともと、長続きする主義なんてものは存在しない。
ぐるぐる歴史の中でまわるだけ。

中曽根政権からの「新自由主義」が流行に流行って、
小泉政権では、もう民営化する分野がないから、
郵便局と高速道路を民営化して、
規制緩和による雇用の流動化に耐えられなくなって、
社会福祉重視の民主党が大勝して、
今は「経済」より「財政」が流行っている。
小泉政権も鳩山政権も、
国民が選んでる。

「だれがこんな国にした」
とか言う人いるけど、
「あなたですよ」
と言ってあげたい。

イデオロギーやポリシー、
その時代の流行というか、
求められているものはあるだろうけど、
中道で良いと思う。

ブッダが苦行も快楽も、
追求してはいけないと悟ったのと同じように。

いや、「見えざる手」によって、
無自覚なうちに僕らはバランスをとって、
案外、真ん中を探しているのかもね。
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