2.08.2010

煖炉の火を前にして


 火はあたたかいものだけど、強すぎてはいけない。

 寒空の下を歩き、煖炉の火にあたっていると、これほどまでに心が落ち着く。けれど、その火が強すぎてしまえば、心を落ち着けるどころか、恐怖さえ覚える。

 きっと、人も同じようなものだと思うんだ。



 誰かを守りたいと思うからこそ、引く身も心もあるということを―

 「歳を重ねるということは、いろんなことを諦めることだ」と誰かが言っていたな。容姿を諦める。体力を諦める。記憶を諦める。すごく悲観的に聞こえるかもしれないけれど、僕はそうは思っていない。なぜなら、「諦める」という言葉は、もともと「明らめる」という意味で使われていたそうだ。ものごとを明らかにし、けじめをつける。今の時代に、真実を見極め明らかにする「諦める」があってもいいんじゃないか。己をしっかりと見定めて結論を出した諦めという「けじめ」なら、だれも文句は言わないんじゃないかな。


「諦めるのは難しい、でも、諦めないと前には進めないんだ」

2.07.2010

「一度目が偶然なら、二度目は運命かもしれない」


 漢字や国字の起こりは面白い。「恋」は旧字体では「戀」と書く。「言」とはこの場合、理性や自制心をいう。その「言」に「糸」が絡み付き、けじめがなくなるから「戀」なんだと。昼も夜も恋い焦がれる様子を、昔の人は理性に糸が絡み付くように感じたのかな。それに下心とは良く言ったものだな。

 また、「愛」は心を傷めてうずくまる人の様子を表しているとか。おそらく、それは相手を思いやって心を痛めているのだろう。真ん中に「心」が大事に収まっている。それを真心というのかな。

 「戀」が「愛」に変わる頃、人は心を傷めている。欲情が愛情に変わる頃、人はそれを傷みとすら自覚しなくなる。

 「一度目が偶然なら、二度目は運命かもしれない」


 おかしいだろ、そういって笑ってよ。
 それでも、全て捧げても良いと思えるのだから―



「赤い糸」オリジナル・サウンドトラック
 だから「赤い糸」なんだね。

2.06.2010

「幸福の再来」と知って

 いつもは雪の振らない街に、
 今日は珍しくまっしろでキレイな雪が降っている。


 「自由と無秩序は違う」

 言われてみてはじめて意識した。
 なぜか驚くほどに自分の心に残った言葉だった。

 こんなに寒く、雪の降る日には、
 あまりに自由な自分の世界が、
 不意に恐ろしく思える。

 自由と無秩序の狭間で、
 どっちにもつけない自分が不甲斐ない。

 花言葉に縋るつもりはないけれど、
 鈴蘭の花言葉が「幸福の再来」と知って、
 すこし安堵した。


 なにより、それでも良いと思えることに―


 英國戀物語エマ DVD-BOX
 自由と無秩序の狭間に咲く鈴蘭。




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